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9 同級生について


 同じ年齢の人間が、同じ部屋で、同じ授業を聞き、同じイベントを体験しながら数年間を過ごす、という経験を、もう十年以上もやっていない。
 会社を含む身の回りのコミュニティで人と接することはあっても、それはもはや上記のような同一性を持つ相手でも、濃密な時間を共有する相手でもない。

 先日、同窓会に出席した。
 中学の同窓会だ。中学といえば、思春期に突入する異様な期間の真っただ中で所属する場所であり、特に僕は公立の中学校であったから、入試等を経ていない、まったくの無作為抽出集団とともに毎日を過ごしていた場所でもある。
 僕がいた中学には、いろんな奴がいた。上を見れば、果てしなく頭のいい奴がいた。彼に僕は結局三年を通じて一度も勝てず、そいつは卒業後開成高校に進学した。一方、不良もいた。周囲の中学に遠征してはそこのワルと喧嘩したり、暴走族に入ったりするような奴らだ。彼ら以外にも悪目立ちするのもいれば、存在感がまるでない奴もいたし、運動がめちゃくちゃできるのもいれば、何一つできないどうしようもないのもいた。
 僕がその集団でどんな役回りだったかはよく覚えていない。等しくみんなと仲がよかった気がするし、適当に距離を置いて接していたような覚えもある。
 そんな連中と、だいぶ久しぶりに会った。
 びっくりした。何がびっくりしたかというと、みんなちゃんとしていたのだ。
 大半はサラリーマンだ。そりゃそうだ、日本の労働者はほとんど従業員で構成されているのだから。だが札付きの不良だった奴が、普通に建設会社の管理職になっていり、不良でも要領のよかった男が、起業して羽振りの良い社長になっていたのには驚いた。頭のよかったあいつが大学講師になっていたのは驚かなかった。きっとあいつはあのまま教授になるだろう。
 と、驚きながらも二時間余りを過ごし、昔話に花を咲かせて帰宅をしてから、ふと気づいた。
 同窓会でも、俺は等しくみんなと仲よく話し、適当に距離を置いて接していた。
 あのころと立ち位置がまったく一緒じゃないか。結局のところ、人間の性格というのは、小さいころから何も変わっちゃいないのかもしれない。

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