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67 海風について

 今、僕は海辺に住んでいる。
 といっても、もちろん砂浜リゾートなどではない。ただの海沿いにある都会の町だ。目の前には確かに海が広がっているが、都会の海だからあまり綺麗とは言えないし、砂浜はもちろんなくコンクリートで固められた擁壁があるのみだ。その先には工業地帯の巨大なクレーンも立っており、残念ながらリゾートからは程遠い景観なのだ。
 それでも、夏が終わった今、窓を開けると入ってくる海風には、ほんのりと潮の香りが混じっていて、どことなく切なさを感じさせる。
 海風が切ないのは、たぶん、小さいころの経験によるのだろう。
 夏ともなればしょっちゅう海に遊びに行った。朝から晩まで泳ぎ回り、目を真っ赤にして、クラゲに刺された腕にキンカンを塗り、海の家でラーメンを食べた。夜ともなれば砂浜で花火に興じた。疲れて、そろそろ眠気を覚えながら、ぼんやりとドラゴン花火を見上げていると、火薬の匂いとともに、ほのかに海風が頬を撫でた。そのころの経験が、海風にノスタルジーを加えているのだ。
 不思議なことに、今、当時と同じ遊び方をしても(つまり、朝から海に行って遊び回り、夜には花火をする)、あのころのようなノスタルジーは感じない。おそらく、単に海で遊ぶというだけでなく、「あのころ」という四文字があることがとても重要なのだろう。
「あのころ」とは、つまり「二度と戻れない」ということ。ベタだけれども、ベランダで海風に吹かれていると、そんな郷愁に不意に襲われ、泣きたいような気分にさせられるのだ。
 そうやって考えると、今まさにこの瞬間も、十年後、二十年後の僕にとっての「二度と戻れない過去」になるのだろう。海風に吹かれて郷愁に浸る今もまた、将来の僕が郷愁を抱く、大切な思い出となるのだ。
 過去には戻れない。でも今はいつも自分とともにあり、未来の僕は、それらをひっくるめて大切な思い出にする。だったら、喜怒哀楽からは逃れられない毎日だけれども、せめて喜と楽を大切にしながら生きよう――などと、センチメンタルに考えてみたりしたのでした。

 

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