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63 口癖について

 普段使う言葉、特に無意識に書く文章には、気を付けなければならない。
 これは、ある種の忠告である。取り分け今、自分には口癖などないと思ったあなた。あなたに対する諫言だ。
 仕事柄、僕は書評をよく読む。拙著に対するものはもちろんだが、他の作家さんに対するものも読む。そこには僕とは異なる物語を見る視点があり、そこが参考になる。同じ物語でも、読む人間により読書感想文はまったく異なり、そこが面白いのだ。
 プロの書評だけではなく、アマチュアの、つまり一般の方々が書かれるものも読む。僕の小説に対するものは罵倒が多く、他の作家さんに対するものは称賛が多いが、それはさておき、プロとアマの書評を呼んでいて、僕はあることに気付いた。
 両者の書評は、実はある一点の特徴において、はっきりと峻別されている。この特徴とは何か。
 それは、口癖でものを書いているか否か、である。
 口癖と言うとわかりづらいが、つまりその人の頭の中にこびりついた「安易なフレーズ」である。
 具体例で言えばこうだ。僕の小説を罵倒する二種類の言葉を読み比べていただきたい。
 A「作者には創意がなく、それが既視感と薄っぺらさを生んでいるのだ」
 B「文才ねーwww 表現が◯◯のパクり、前代未聞でワロスwww」
 ――さて、どちらが「安易なフレーズ」を使った文章だと思われるだろうか。
 Bと答えたあなた、あなたはすでに口癖に毒されている。
 実はこの場合、口癖で物を言っているのは、Aである。
 なぜか? それは、「文章を批判するときに誰でも思い付くフレーズ」を安易に使っているからである。
 具体的に言えば「創意がない」「既視感」「薄っぺらさ」である。これらは、まさしく「ある小説を罵倒するときに誰もが思い浮かべる安易なフレーズ」である。別の言い方をすれば「自分が気に入らないものに出会ったときとりあえず言っときゃなんとかなる言葉」であり、口さがなく言えば「言語化に乏しい、才能のない文章」なのである。
 これに比べればBのほうがずっと好ましく、才気に溢れている。自分の言葉で、自分の思いを言語化しているからである。
 話を元に戻すが、とかく人間は「安易なフレーズ」を使いがちだ。特にそれが「もっともらしい」ものであればあるほど、脳の重要な部分にこびりついていく。
 プロの書評家がさすがだなと思うのは、こういう安易さを極力取り除き、自らの言葉で書こうとする努力がきちんと見えることだ。称賛するにせよ、扱き下ろすにせよ、それを「自分がどう感じたか」ということを、借り物ではない言葉でしたためる。だからこそ僕は、批判されてむっとすることこそあれ、一方では「さすが、金を取る文章とはこういうものか」と感心もするのである。
 だが、プロでない人間は、この点にはまったくといっていいほど気を遣わない。安易なフレーズは、実は、常に気を付けていないと必ず出てくるものなのだが、それをプロでない人間はまずやらない。だからアマチュア書評家、いや、こういう手合いを書評「家」などと言うべきかがまず問題ではあるのだが、そこには目を瞑るとして、彼らが書き連ねる文章は、まったく目を覆うほどの「口癖」で溢れることとなるのだ。
 それこそ、あれ、これはもしかして人工知能か何かが作成した文章なのかしら、と思うほどにである。
 そこで冒頭の諫言に戻るのだが、是非、心当たりのある方は、自らの文章に気を付けていただきたいのだ。
 無意識に書いている文章によって、あなたは恥を掻いている。特に、盛大に恥を掻いている人ほどインターネット上に大量の恥を書き残している。今すぐ見直して、僕の言わんとしている趣旨を確認していただきたいのだ。
 もっとも、これは「お願い」ではない。見下して言っているわけでもない。
 ただただ、気の毒なのだ。そんな恥を、鼻高々に掻いてしまっているあなたが。

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