top of page

57 朝について

 

 長く夜型だと思い込んできたのだが、どうも本当は、朝型であるらしい。
 気が付いたのは最近だ。作業能率を午前中と午後と夜で比べたときに、明らかに午前中のほうがはかどるのだ。学生の時分は夜の方が何をするにもはかどったものだが、今は逆に夜になると睡魔が襲ってきて、まったく作業にならないのだ。
つまり、午前中のほうが何をするにも上手くいく。
 あー、これはつまりあれか、老化か。と、そう悲しくなるわけだが、一方では必ずしも、だからといって朝に強くなったわけでもないのが疎ましい。
 やっぱり、朝は朝で眠くてたまらず、なかなか起きれないものなのだ。
 7時。目覚ましが鳴るが一度では起きれない。7時10分。時間差で鳴る目覚ましでようやく起きるが、身体はまだ寝ている。そんな怠惰な身体に鞭打つように朝の支度をして、仕事を始めるわけだが、いざ仕事を始めてしまえば、午前中の能率は極めてよろしいのである。
 もしかすると、もう少し年を取れば、朝もぱっちり目が覚めるようになるのかもしれない。まあ、そうなればいよいよ本気の老人ということなのだが。
 ところで、朝の町というのはなんとも清々しいものだ。
 夜の雰囲気をまだ残した冷たい町に、朝日が差し込むとき、徐々に温度が上がり、人間のみならずさまざまな生き物が眠りから目を覚ます。そんな雰囲気がなんともたまらない。サーカディアンリズムが、太陽が昇ることに喜びを感じさせているのだろう。いくら文明人を気取っても、僕はやっぱり地球に根付く生き物のうちのひとつなのだ。
 にもかかわらず、「朝がつらい」というもう一面の事実もあるのは、もしかすると、生物としての人間が無理やり社会の中の個体として動かざるを得ないことに、すなわち本来生物としては不自然な「起床の強制」をさせられていることに、理不尽を感じているからなのかもしれない。
 と、そんなことをつらつらと思いつつ、明日もまた、朝を迎える。願わくば、清々しい朝であってほしいものだと思いながら。

bottom of page