三文文士・周木律
54 英語について
結論から言うと、英語が苦手である。
苦手というか、読み書きはなんとかなるのだが、コミュニケーションとなると、微妙に上手くいかないことが多い。
仕事を通じ、例えば英語で書かれた文献を読むといったことは時折やった。書く方も、読む方に比べると頻度は小さいが、やらなかったわけではなく、たぶん、そこそこできるのだろうと思う。
ところが、英会話となると、途端にだめになる。
英会話で使われる単語数は、おそらく読み書きで知っておかなければならない単語数よりも少ないはずだ。なのに、なぜ上手くいかないのだろう。
いくつか、原因は考えられるのだが、ひとつは、会話には文章では使わない言い回しが多用されるということがあるだろう。
日本語でも、会話で使う言葉と文章で使う言葉は違う。僕は小説で、例えば「それは違うわ、だって、あのときこの部屋には、瀬戸物の破片もなかったのですもの」という台詞を書いたりするが、本当は、こんな台詞の述べる人はいない。実際には「違うよ、だってあんとき、ここには茶碗の欠片がなかったでしょ」だ。
僕の頭の中に、基礎として文章としての英語が流れている限り、生の台詞をそのまま読むことは不可能なのだ。
もうひとつ、そもそもヒヤリングがなっていないというのが、根本的な原因かもしれない。
簡単な単語であっても、聞き取れなければそれが何だかわからないのであって、何が何だかわからなければ、コミュニケーションにもならないのは当然のことである。
しばらく前のことだが、国際線に乗っていた。もちろんエコノミーである。
食事の時間になった。CAの白人女性が、二つのメニューのチョイスを乗客に訊いている。日本人ならば「◯◯になさいますか、それとも××になさいますか」と丁寧に問うところだが、白人女性は「◯◯オア××?」と、シンプルである。
さて、何を食おうか。肉は気分じゃないから、魚にしようか。メニューに耳を傾けると、彼女は妙なことを言った。
「ビーフ、オア、ソーヴァー?」
ソーヴァー?
何だそりゃ? 僕は混乱した。
ソーヴァーって何だ? soverか、それともsoberか? ちなみにソーヴァーは、上がって下がるイントネーション、UFOと同じ発音だ。だが、いずれにせよそんな単語、僕は知らない。
眉根を寄せると、僕はCAの顔を見た。向こうも怪訝そうに「どうしたジャパニーズ、早く選びなよ」とでも言いたげに首を傾けた。
うーん、どうしよう、ビーフにするか。でも肉は気分じゃないし。二秒だけ考えて、僕は言った。
「ソーヴァー」ソーヴァーが何かはよくわからないが、肉オア◯◯の肉ではないチョイスなのだから肉ではないはず。
だがCAは、さらに怪訝そうに首を傾げて言った。
「ソーヴァー?」
本当か? とでも言いたげな語調。僕は少々苛立った。だから、ソーヴァーだって言ってるじゃないか。
だが、もしかしたら発音がいまいちだったのかもしれない。僕は再び、ゆっくりと言った。「ヤ、ソーヴァー」
ようやくCAが、無言でソーヴァーを僕の目の前に置いた。
「蕎麦」だった。
――ソバならソバと言ってくれよ。変なイントネーションじゃわからんよ。というか、牛肉と蕎麦のチョイスってなんだよ。そう心の中で毒づきつつ、僕はぷつぷつと切れるあまり美味しくない機内食をずるずると啜ったのだった。
つくづく、異言語コミュニケーションとは、難しいものである。