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50 目について

 

 僕は目が悪い。
 だから眼鏡を使用している。
 僕の目が悪いのは筋金入りだ。生まれたときから視力は0.7くらいしかなく、真性近視と言われた。小学校1年生のときにはすでに視力は0.1に落ち、クラスでただ一人の眼鏡を掛けた新入生だった。お陰で喧嘩をするとよくメガネザルと悪口を言われたが、そんなことは別に大したことではなく、むしろ球技をするときなどに困った。サッカーでヘディングをすると眼鏡を壊すことがあったらである。
 中学以降さらに視力は悪化し、今はだいたい0.04に強度の乱視が加わるまでに悪くなった。お陰で眼鏡がないとまったくといっていいほど日常生活がままならない。災害が起きれば、僕はまずなんとしても眼鏡を守らなければならないだろう。眼鏡をなくしたらその瞬間からお陀仏である。
 しかし、眼鏡を掛けても、僕は視力が0.7くらいである。先述のとおり、真性近視であるのがその理由だ。眼鏡屋いわく「視力は0.8以上には矯正しません」

「なんでですか」

「あなたは人生で0.8以上の視力を経験していないので、強制しすぎるとおかしくなるからです」
「おかしくなるって、何がですが」
「頭がですよ」

 ほんまかいな大袈裟なと思ったが、未体験の刺激を脳に与えるのだから、確かにおかしくなるかもしれない。
 一方、僕の家族は目がいい。視力が両目とも2.0である。羨ましい。実に羨ましい。「いいなあ、目が良くてさあ」

 事あるごとにそうやって羨ましがる僕に、あるとき家族がこう言った。
「そうやって羨ましがるけど、目がいいと、困ることもあるのだよ」
「困ること? そんなことあるもんか」
「いや、ある。ゴキブリをいちはやく発見してしまう」
「あ、ああ……」納得した。それは確かに嫌である。
 しかしまあ、冷静になって考えてみれば、ゴキブリとか虫とかイヤなものを誰よりも早く見つけてしまうリスクを背負ってでも、やっぱり目がいいにこしたことはない。
 ちなみに一時、僕はコンタクトレンズを着用していた時期があった。大学に入ったくらいの頃である。目がゴロゴロして気にはなったが「便利なものだなあ」と愛用していた。ところが1年ほど経ったある日、瞼が異常に腫れた。物もらいかと思ったが一向に治る気配もなく、悪くなる一方だ。一体どうしたのかと眼科に駈け込んだら、医者がこう言った。「ああ、コレ霰粒腫ですね」
「サンリューシュ?」
「目の分泌物が、異物、この場合はコンタクトレンズですけど、それに阻まれて瞼の裏で炎症を起こす病気ですよ」
「はあ、これ、コンタクトが原因だったんですが……で、どうやれば治るんです?」
「膿を出せば治ります」
「なるほど。で、どうやって出すんです?」
「切開します。瞼の裏を」
 ――その具体的な手術の様子は描写しない。だが、眼球に近づくメスの切っ先といい、瞼から膿が絞り出されるぶずぶずという感触といい、地獄のごとき術式であったことは確かである。
 こうして僕は、以後コンタクトレンズは決して使用しなくなったのであった。

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