三文文士・周木律
49 仕事について
「周木さん、あの、ご相談があるんですけど」
「どした? 深刻な顔して」
「あの……実はボク、この仕事がちょっとしんどくなってきちゃったんです。一体どうしたらいいんでしょう。そもそもボク、何のために仕事してるんでしょう……」
GWが過ぎてしばらく経ち、ボーナスも貰ってとりあえず一段落がついた夏。時折、こんな質問を新入社員から受けることがある。
ああ、そういう時期なんだなあ、と僕はしみじみ思う。
これは、3日目、3か月目、3年目のメランコリの2つめ、誰でも通る道のひとつだからだ。
だから僕は、こんなとき、必ずこう答えるようにしている――「いいかい、君は金のために仕事してるんだよ。悩むかもしれないが、お金のためと思って辛抱してごらん」
こんなアドバイスは、生々しすぎるだろうか。
いや、こんな生々しい答え方をするのには、もちろん理由がある。
僕は、人間とは、抽象的なものに惑わされると、とかく判断が鈍るものだと考えているからだ。
世の中は、抽象的なものに溢れている。例えばどんなものか。ひとつには「言葉」だ。「今日も頑張ろう」とか、「立派になれよ」とか、「うまくやっといていね」とか。僕は思う。何をどう頑張るのだ。頑張って何を目指すのだ。立派とは何か。何をもって立派だというのか。うまくとは何だ。何をどうするのがうまくやることなのか。そう、これらは抽象的であるがゆえに、解釈がひとえに受け手に委ねられてしまっている言葉なのである。
あるいは、あなたが「よい」「悪い」と判断する何かを考えてみていただきたい。「今日もよい行いをしよう」「今の日本は悪い政府だ」「草津よいとこ一度はおいで」「周木律とは悪い物書きだ」きっと、それぞれについて今あなたが考えた「よい」「悪い」のイメージがあるはずだが、どれひとつとして僕が念頭に置く「よい」「悪い」のイメージとは合致しないだろう。good、badとは、そういう極めて抽象的な形容詞なのである。
誤解なきよう申し上げると、僕は、抽象的なものが悪いと言っているのではない。
抽象は大事だ。それは人間や事象を理解しやすくするためには不可欠なものだからだ。だが、だからといって、こういう抽象的なものを使って自分をだまそうとしても、上手くいかないことがあると言いたいのだ。
人間とは、具体的な「モノ」を本能的に求めるものだ。なぜなら、人間は生物であり、その「モノ」を糧にしなければ生きていけないからだ。具体的な「モノ」とは何か、すなわち水、食料、住居、衣服、そして金である。こういうものが手元になければ、ほんの数日後の生命でさえ保証はされない。どれだけ虚勢を張ったところで、戦後、ヤミ市の米は食わんと言って餓死した判事のように、霞のような抽象を食って生きるなんてことは不可能なのだ。
と、ここで話を冒頭に戻す。
3日目、3か月目、3年目の若手は、なぜ憂鬱になるのか。
それは、自分の中に置いた抽象が、よくわからなくなってくるからである。
すなわち3日目には、社会の現実に気付く。3か月目には、社会人の現実に気付く。そして3年目には、人生の現実に気付く。それぞれにおいて自分が持っていた抽象が現実と齟齬を来たし、懊悩してしまうのである。「社会ってこういうものか? 社会人ってこういうものか? 人生ってこういうものか?」と。
だから僕は、そういう若手には決して抽象的なアドバイスはせず、可能な限り具体的なモノで励ますのだ。「とりあえず金のために頑張ってごらんよ」と。
何も難しいことはない。俺はまず、生活のため、金のために仕事をしているんだ、そう考えればいいのだ。
抽象に掴まることに疲れたのなら、一旦そこから手を離して、具体的なモノを掴めばいい。そこで十分に休息を取れたなら、また抽象を掴み直し、改めて抽象を向き合えばいいのである。
ところで、抽象的な「仕事とは?」に攪乱された結果、最もよくないのは、仕事を辞めてしまうことだ。
特に抽象度が高く、かつ新入社員が惑わされやすい言葉が3つあるので、ここにご紹介させていただこう。すなわち――。
「夢」「やりがい」「ステップアップ」この3つである。
世間には、あなたが思うような夢もやりがいもステップアップも存在しない。だからそんな言葉にだけは絶対に惑わされてはいけないのだ。そもそもこれらの言葉は、具体的なものを愚直に追い求めた結果そこにあるものであり、目の前にぶら下げる類のものではないのである。
くれぐれも、これらの言葉には惑わされないように。
もし惑わされそうなら、すぐ経験豊富な上司、先輩方に相談するのが最善ですよ。