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48 雑煮について

 

 関東の出だが、僕は「ウドンの汁は関西風のほうが旨い」「エスカレータは右側に並ぶのが合理的」「ネギは九条葱が好き」と、概ね関西文化に軍配をあげている。

 だが、そんな僕であっても、雑煮だけは、俄然関東風を推奨する。
 細かい地域性はあろうが、概ね雑煮の地域性に関しておさらいしておくと――。
 関東風の雑煮は、「醤油ベースの澄まし汁」「角餅を焼いて投入」というスタイルを持つ。
 一方の関西風は、「白味噌仕立ての汁」「丸餅を煮る」というスタイルを持つ。
 全然違うのだ。全然違うからこそ、僕は関西風の雑煮が受け入れられずにいる。なぜ味噌? なぜ焼かない? まあ、ベースとなる汁はいいだろう、お澄ましもお味噌汁も、旨いものは旨いからだ。僕が問題提起したいのは、とにかく餅のことである。
 どうして――どうして関西風では、餅を煮てしまうのか?
 僕が初めて関西風のお雑煮を頂いた際に、もっとも衝撃だったのがコレだ。そのお宅は澄まし汁で餅を煮るという「半関西風」スタイルだったのだが、白濁した汁の中に沈殿する、かつては餅だったドロドロの何かを、ずずずと吸って食うのだと理解したとき、正直怖気が走った。「なんてことだ、なぜ餅を煮た? これじゃあ、粥をさらに潰したものと大して変わらないじゃないか! こんなの、雑煮じゃねえ!」
 僕が知る雑煮は、ただただ餅を焼いて投入する関東風である。そもそも、餅とは焼いて食うものではないのか? 焼いて表面が焦げてカリカリになり、そこに醤油を付けて食うのが格別だ。ある意味でこれは餅をせんべいにしているのだが、せんべいと違うのは、その内側にモチモチとした餅が存在していることだ。外はカリカリ中はフワフワなどとよく言うが、日本人にとってのその元祖はバンでも粉ものでもなく、まさにこの焼き餅であろう。
 その焼き餅が、澄まし汁の中に沈む時、実は新たなコラボレーションも生まれているということにお気づきだろうか。皆さんはもちろん、濡れせんというものをご存じだと思うが、雑煮に焼き餅を投入するとき、実はこの濡れせんも生まれているのである。いや、正確には、汁の中に沈む時間により、焼き餅はその態様を徐々に変えていくと言うべきか。煎餅が濡れせんとなり、やがてしっとりとした餅そのものに変わっていくのだ。まさに、ウィスキーをロックで嗜む時、その氷の溶け具合とともに変わりゆく味を楽しむのにも似た愉しみが、関東風雑煮にはあるのである。
 ――と、ここまで述べたことについて、すでに僕の身の回りにいる方々とは何度も議論をしているのだが、そのほとんどの方々から同意を頂いている。
 これすなわち、過去からそうやって食してきたという文化的側面は否定せずとも、少なくとも現代の人々は、関東風雑煮の方がウマいと考えるのがスタンダードだとしてよいということに他ならない。
 もちろん、異論はあろう。関西風雑煮のここが美味しいのだという点があるのなら、積極的に教えていただきたい。ただ、その上でさらに僕は「それでもこと雑煮にに限っては、関東風のほうが旨いのだ」と全力で説得させていただくつもりであることを、ここに付言しておく。
 結論。雑煮は関東風に限るのだ。

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