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46 マニアについて

 

 マニアと呼ばれる人々には、2種類がある。
 ひとつは、自分がマニアとして傾倒している領域、すなわちジャンルが広がることを指向するマニアと、逆に狭まることを指向するマニアである。
 前者、便宜的に外向性マニアと呼ぶが、彼らはジャンルの裾野を広げる働きを持つ。外交的であり、いまだそのジャンルを知らない人々へ布教するのが上手い。雑食的であって、懐も広い。ある意味で彼らはジャンルそのものが好きなので、その絶対面積が広がることそのものを喜ぶ。
 一方、後者、便宜的に内向性マニアと呼ぶが、彼らはジャンルの深みを掘り下げる働きを持つ。内省的であり、周辺事情にはあまり興味がなく、同類間で情報をやり取りしつつ知識を深めていくことを好む。偏食的であって、懐は狭い。彼らはジャンルというよりも、ジャンルを好む自分たちが好きなので、ジャンルにおける自分の占有面積の割合が増えることを喜ぶのだ。
 ここまで、外向性マニアに対し、内向性マニアをあまり好ましくないものとして書いたが、そのとおり。僕は、内向性マニアがあまり好きではない。必要悪だとは思うが、彼らは内向的であるがゆえに、ジャンルそのものを萎ませる働きを持つからである。
 これまで、さまざまなジャンルの盛り上がりがあった。だが、そのジャンルが衰退していくとき、その背後には必ず内向性マニアがいた。彼らは、ジャンルを「自分たちだけのもの」としようとするあまりにジャンルの縁の広がりを阻害していた。彼らの存在こそが衰退の原因となったのだ。
 彼ら内向性マニアが好きな言い回しが幾つかある。例えば「○○○なんか×××じゃない」だ。「スイカなんか野菜じゃない」というように、○○○には具体的な作品名、×××にはジャンル名が入る。
 内向性マニアには自分基準の強いこだわりがある。したがって具体的なモノに対しても、それが自分基準で見てどうかという思考が働き、それにそぐわない場合には即座にモノを否定する。このときに吐かれるのが上記の台詞である。言うまでもないことだが、この台詞の出所は「自分基準」である。その自分基準の設定には内向性マニアなりの理屈もあるようなのだが、要するに「好き嫌い」を屁理屈で補強したものでしかない。僕は、好き嫌いという基準で物事を選別することそのものは悪いこととは思わないが、それが上記台詞という言霊となって、関係のない仲間、あるいはジャンルに触れたばかりの者に及ぼされる悪影響を思えば、まったく好ましいこととは思えない。
 あるいは「△△△は化けた」という台詞もある。「ゲルニカでピカソは化けたな」というように、△△△にはクリエイタの名前が入る。
 僕は思う。あほか、ピカソが化けただなどと言うが、貴様にピカソの何がわかるのだ。化けただなどと言えるほどの技量があるなら貴様がピカソになれるはずなのだ。そもそもピカソは化けたわけではなく、それまでは爪を隠していただけに過ぎないのだ。本当にわかる人間ならばピカソのこれまで隠れていた側面が現れたと感じるところ、化けたなどとは、上から目線の勘違いも甚だしいのである。
 上の台詞を検討するまでもなく、内向性マニアが好ましくない理由は、ごくごく単純だ。
 彼らには、ジャンルへの愛がないのだ。
 彼らは確かに何かを愛している。しかしその対象はジャンルではなく、ジャンルが好きな自分なのだ。すなわち自己愛しかないのであって、ジャンルに対する愛など微塵もないのである。
 もちろん口先ではジャンル愛を語る。だがその語るという行為の中には「ジャンル愛を語っちゃうぼく」がいる。衰退しようとしているジャンルの周囲には必ず、こういった、ジャンル愛を装いつつジャンルに群がる内向きなハイエナがごまんといるのだ。こうして彼らは、その強すぎる自己愛によってジャンルを真の意味で盛り立てる外向性マニアを呆れさせ、新たにジャンルに近づきつつある人々の侵入を阻害するのである。そうなればもちろんジャンル人口は減るわけだが、彼らのジャンルにおける占有面積は増えるので、自己愛に満ちた彼ら内向性マニアはむしろ喜んでしまうのだ。

 もちろん、稀にだが、こうした連中がジャンルに意外な深みを持たせることがある。中には掃き溜めから鶴が生まれることもある。それが冒頭「必要悪」と申し上げた理由である。内向性マニアが一切不要だというわけではないのだ。
 しかしながら、当然のことながら、大量には必要ないのだ。ほんの少し、料理に使われるトウガラシ程度の使い方がされればよい。トウガラシのないメシは若干物足りないが、トウガラシばかりの辛いメシに至っては、好む人も少なければ、うまくもなんともないのである。
 話を戻すが、このようにして、内向性マニアの存在によってジャンルは萎み、やがて消滅するという運命を辿る。悲しいことだが、僕が好きな幾つかのジャンルが、そういった経緯の後、実際に衰退していった。さらに現在進行形のジャンルは幾つもある。その病状進行だけは何としても阻止しなければならないだろう。
 気をつけなければならないのは、自己愛の世界というのは思いのほか魅力的なものだということを、忘れてはならないということだ。ジャンルに傾倒するほど、自分がいつの間にか内向性マニアになる可能性は高まっていく。きっかけは往々にして、内向性マニアのギルドからの誘いである。同類は同類の資質がある者を呼び、同類同士で腐敗の度を高めていくのである。
 汚染されたくなくば、近寄らないのが吉。このことだけは、肝に銘じておくべきであろう。

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