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38 雇われ作家について

 

 結論だけを述べるが、要するに、作家は出版社に雇われてそこの社員になっちまえばいいと思う。
 乱暴かもしれないが、これでウィンウィンの関係になれるのだ。理由を以下に述べる。
 文筆業を初めてよくわかったことだが、作家、もちろん僕はそんな大それたものではないただの三文文士だが、いずれにせよそういう立場にある人間の生活とは、やはり極めて不安定なものである。
 本を出す、売れる、それが収入になる、生きる、作家の収入プロセスはかようにわかりやすいものだが、裏返せばそれは、本を出せない、何も売れない、収入がない、死ぬ、という残酷な現実を示すものでもある。
 一方で、でかいヒットがあれば、重版に重版を重ねて一生左団扇で過ごせるほどの実入りがある。だから作家はそこを目指して日々頑張るわけだが、その努力はほとんどの場合報われない。ヒットなど、作家の中でも飛び抜けて才能ある一握りに許された特権中の特権なのだ。
 と、こういった厳しい状況に置かれている作家が、はたして本当に有意義な創作活動を送れるものだろうか。
 毎日のメシをどうにかしなければならない、そういうことにばかり追われている創作者が、本当にいいものを生み出すことができるのだろうか。
 おう、できるとも、そうやって素晴らしい著作を生み出した作家が現にいるじゃねえか。という言葉を真っ向から否定はしない。だが一言コメントさせてもらえば、そんな逆境にも負けなかった素晴らしい作家の背後には、その何百倍もの逆境に挫折した作家たちがいるということを忘れてはならない。
 そこで冒頭の結論に戻るが、僕は、作家を出版社が雇って社員にするという制度があっていいと考えている。そういう作家を仮に「雇われ作家」と呼ぼう。

 雇われ作家は毎週、平日の朝、一般的なサラリーマンと同じように、出版社に出勤する。そして出版社で、退社時刻まで創作活動を業務として行う。もちろん昼休みの一時間が挟まれる。出版社からはパソコン等の必要な機器と、十分な資料が貸与され、無料のコーヒーをいつでも飲めるようになっている。言い回しに悩めばすぐに校正部に問い合わせられる。行きづまれば担当の編集者、これは上司に似た位置づけになると思うが、彼らとすぐに相談することもできる。こうして雇われ作家は、出版社に勤務しながら、定められたノルマ、例えば一年で四作の小説を書下ろすという業務をこなしていくのだ。もちろん雇われ作家に対する報酬は印税ではなく毎月の給料である。業務がはかどる限り、この給料はそこそこ支払われ、したがって生活の安定が保証されることになるのだ。しかも健康保険等の福利厚生の恩恵もある。このような安定した状況下で創作活動に打ち込むことは、作家の精神衛生上も極めてよろしいことだと思われる。
 もちろん、批判はあるだろう。例えば――。
 問「作家の自由な創作活動を奪うのではないか。そもそも出勤する必要があるのか」
 答「もちろん作家の自由を奪う趣旨ではなく、テレワークでもいい。だが出勤することには、打合せや資料探しがすぐにできるというメリットもあるし、あの人はニートなのかしらという近所の好奇の目に曝されずにすむことにもなる」
 問「ノルマを課せられるのは、健全な創作活動とはいえないのではないか」
 答「商業作家になるということは、一定の結果を出していくということである。それが嫌なら退職の自由がある。もちろんこれまで通り個人事業主、フリーランスになる自由だってある。そうしたい人はそうすればよいだけのことである」
 問「もし雇われ作家がヒットしたら、出版社だけが丸儲けとなりはしないか」
 答「そうはならない。なぜなら会社にはボーナスという制度があるからだ。もし著作がヒットすれば、それはボーナスにより還元される仕組みとすればいいだけのことである」
 問「仮にノルマをこなせなくなった雇われ作家は、解雇されるのか」
 答「然り。しかしここには当然解雇に関する法の要請、すなわち解雇要件をあらかじめ定めておくとか、解雇する正当性が本当にあるのか、などの規制がかかる。少なくとも、これまでのように出版社が無責任に作家をポイできるようにはならないのである。すなわち作家は、労働者としての法の恩恵を受けつつ、創作活動に打ち込めるようになるのである」
 ――どうだろう。決して悪い制度でもないでしょう。
 もう一点、そもそも雇われ作家になるにはどうすればいいのか、という指摘があると思われる。

 雇われ作家になるために、就職活動をして、就職試験を受けるのか。それは何か変じゃないのか。そんなのありなのか。
 答。何も変なことはない。これまでの「○○賞に作品を応募し、受賞し、作家になる」というプロセスがそのまま「○○社の就職試験に作品をエントリーし、合格し、雇われ作家になる」と置き換わるというだけのことだ。そんなの十分にありである。
 もちろん「まず隗より始めよ」ともいう。もし講○社さんか、KAD○KAWAさんか、新○社さんか、どこでもいいがそういう制度を始めるというのであれば、僕は喜んで雇われ作家のモデルケースとなろう。
 ただでさえ古めかしい仕事の仕方をしている出版業界、ここらでひとつドラスティックな制度改革を行って、創作環境を少しでもよくしたいと思うのだが、いかがだろうか。

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