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36 修羅場について

 

 仕事の修羅場、というものがある。
 といっても、デスマーチで死にそうになっているとか、休みがないとかパワハラが横行しているとかいった、いわゆるブラックな職場体験ということではない。まさに自分の職業人生を賭けるような瞬間を、仕事をする上で経験したことがあるか、ということだ。
 僕はかつて、そういう修羅場を一度だけ経験をした。
 具体的にそれがどういうものであるかは、言うことはできない。だが、その仕事は、組織そのものを揺るがす可能性もあるほどの大きなものだった。比喩的表現ではなく、命がかかっている部分もあった。だから僕は、「今自分がやっているこの仕事は、僕の人生がかかっている。ともすれば首になるかもしれないし、健康を害するかもしれない。組織そのものが瓦解するかもしれない。しかし、やらなければならない」という覚悟でその仕事に臨んだ。ドラマのように、懐に辞表を忍ばせていたし、家族にも、もしかするとこれがきっかけとなって仕事が変わるかもしれないよ、といったことをあらかじめ告げていたくらいだ。

 結果、なんとか首にはならずにすんだ。

 振り返るに、仕事をまっとうできたのかどうかはわからないが、少なくとも失敗はしなかったのだろうと考えている。だからこそ、僕は今もまだ仕事を続けていられている。
 改めて思うに、あれこそがまさに「修羅場」であった。

 大変だったし、死ぬほどつらかった。だが、一方ではとてもよい経験でもあった。今では心から感謝している。
 現在、僕は本業・兼業でさまざまな人と交流し仕事をさせていただいているが、この修羅場経験が、本当に役立っていると感じている。すべての仕事における基本と応用を、修羅場から学ぶことができたからだ。
 例えば、修羅場においてはすべてが「目的指向」になる。自分が気に入る気に入らないではなく、目的達成のために何をしなければならないか、ということが常にプライオリティの第一位に置かれる。上司から部下まで一点を見つめていなければ決して達成できないほどの困難な目的があるからだ。こういった経験を経ると、日常的な仕事でも自然と「ならば、何をすればいいのか?」という思考になる。そこに怒りや焦りは介在しなくなり、冷静な判断ができる。
 また、ストレス耐性も高くなる。大抵のピンチも「あの修羅場に比べれば、こんなの大したことはない」と思えるようになる。実際、自分の進退や組織の命運がかかっているような状況に比べれば、ほとんどの仕事のプレッシャーなど、屁のようなものだ。
 今、本業と兼業をなんとかやっていけているのも、もしかすると修羅場経験があったおかげかもしれない。
 もっとも、だからといって、僕から人に修羅場に行けとお勧めすることはできない。
 修羅場というのは本当に、信じられないほどのストレスの中に置かれる。それこそ、頭がおかしくなりそうなほどのものだ。今、僕が安穏としていられるのは、そのストレスをぎりぎりのところで奇跡的に乗り越えられた、というだけのことであって、振り返ればいつ潰れてもおかしくはなかったのが現実だ。そんなものを人には勧められないし、そもそも修羅場とは「突然降ってくる」ものであって、意図的にどうこうできる類のものではないのだ。
 しかし、仕事をしている以上、誰の身の上にも修羅場が降ってくる可能性がある。
 そのときに、僕から言えることがあるとすれば、たったひとつ。「腹を決めろ」だ。
 腹を決めた人間ほど、強い。そういう強さを持てるか否かが、修羅場を乗り越えるための鍵なのだと思う。

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