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33 学者について

 

 知り合いに、物理学者と数学者がいる。仕事の上ではなく、プライベートで知り合った人々であり、僕が心から憧れ、尊敬する人々である。
 僭越ながら、僕は学問をテーマとした小説を書いている。だから正直に言って、著作をプロに見てもらうのはとても恥ずかしいことだ。だがそれでも、献本はきっちりと行わせていただいている。素人が背伸びをするとどの程度になるかを見てもらい、その実情をプロに知ってもらうことも、もしかすると意味があることかもしれないと思うからだ。そしてなんと、読んでもらえている。こういうのは好きじゃないと言われたり、この解釈は違うと言われたり、稀になかなか面白いと言われたりする。三文文士としては、身に余る光栄である。
 そんな彼らの学者としての仕事ぶりを横から見ていると、ああ、人間の知識とはこういう人々の頑張りの上に成り立っているのだなあ、と心から思う。
 学者の世界にも競争はある。功を成したいと努力し、たまには不祥事を起こす者もいるが、ほとんどの学者は競争をも自分の探究心と知的好奇心の糧にして、日々邁進している。すごいことだ。ここまで知識にかしずけたら楽しい人生に違いない。僕はお金のため上司にかしずくことしかしていないので、なおのことそう思う。
 もっとも、学者になれなかったのは、僕の才能のなさと、怠慢ゆえである。今の人生が自分にあるのは、すべて自分のせいなのだ。
 だから今の僕は、外野スタンドからプロ野球選手の素晴らしいプレーを見るようにして、知己の素晴らしい仕事を眺めている。ある意味では、それも十分に幸せなことなのだ。なぜなら、僕があの場に立ったところで、凡プレーしかできないことなど、十分にわかっているのだから。

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