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32 傘について

 

 以前家族に「雨が降ると機嫌が悪くなる」と言われたことがある。
 もちろん自覚している。雪は好きだが、雨は嫌いである。正確には、雨が降ると傘を差さなければならないが、この傘が大嫌いなのだ。だから必然的に、雨が嫌いになるのだ。
 人間には、自由になる手足が四本ある。外出する際にはそのうち二本を歩行のために使うので、残りは二本。傘をさすとなると、このうち一本を、雨を避けるためだけに使わなければならなくなる。なんと面倒くさいことだろうか。
 いっそのこと傘など差さなければよい。ということで、僕はぽつぽつ雨程度では傘は差さない。小雨程度でも、まあ差さない。大雨が降ったら、まちょっとは差すかな。だが、差さないと当然服はそれなりに濡れるわけで、だから僕はしばしば家族に怒られる。「背広をこんなびしょびしょにして、しわになったらどうするの」僕が悪いのではない。雨と、邪魔くさい傘が悪いのだ。なお、雨は嫌いでも雪が好きなのは、雪ならば溶ける前に払ってしまえば服から落ちるからである。原理的に傘は不要なのだ。
 人間の技術は信じられないくらいに進歩した。この十数年の携帯電話の変わりぶりを見ても明らかだ。なのに、傘は何百年も基本構造がまるで進歩していない。いったい傘業界は何をしているのか、と文句を言いたいが、傘業界にだって言い分はあろう。傘は車輪のように数千年前に完成された構造なのである、とか、費用対効果を見た際にもっともすばらしい形状なのだ、とか、きっと今の形が変わらないのには、それなりの理由があるのだ。
 しかし、掃除機でさえいつまでも吸引力が変わらないものが出ているのだから、そろそろ傘ももう一段上のステージに上ってもいい頃合いなのではないか。
 具体的には、たとえば空気圧や電気の反発力を使って濡れないようにするとか、あるいは発想を転換して濡れることを前提としてそれでも問題ないようにするとか。もしかすると傘業界だけでは難しいかもしれない。服飾業界や、政府機関の力を借りる必要があるかもしれない。そんなところまでと思うかもしれないが、ボールペンや枕だってNASAの力を借りたのだ。傘だって借りても何の不自然もない。
 と、期待は膨らむのだが、一方今の僕の手元にあるのは、もっとも原始的な機構を持つビニール傘だ。そして今、外は雨が降っていて、僕はこれから出かけなければならない用事がある。
 さて、どうするか。
 ひとしきり思案した後、苦々しい表情を浮かべつつ、僕は仕方なくこの原始的な造りの傘を広げ、じめついた外に出かけるのだ。

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