三文文士・周木律
25 鮪について
魚の中で何が好きですかと言われると、もう鮪以外にはない。もちろん他の魚も好きだが、鮪は別格だ。
小さい頃は、魚が苦手だった。
父親が若い頃、胃と十二指腸を摘出する大手術をしたせいもあってか、あまり重たい食事が出る家ではなかった。たまには肉も出たが、だいたい主菜は焼き魚で、たまに煮魚、刺身が出た。どれもあまり好きではなく、中でも刺身は本当に受け付けなかった。
だから、僕はいつも魚を残していたのだが、それが、いつからかはよく思い出せないが、おそらく十歳頃、ようやくある種類の魚だけは食べられるようになった。
鮪の赤身である。
あの血の色をした刺身だけは、なんだか美味しいなと思えたのだ。すると、それがきっかけになったものか、次々と他の魚も食えるようになっていった。「苦手」が「食べられる」になり、やがてそれが「好き」になった。成人式を迎えるころには、おおよその魚類は好きになった。舌が大人になったのだ。
そして、それら魚の旨さがわかるにつれ、相対的に鮪がさらに旨くなっていったのである。
僕が尊敬してやまない筒井康隆先生のエッセイに、鮪の話がある。
筒井先生も鮪が大好きで、ブロック状の赤身に刷毛で山葵醤油を塗り付けてかぶりついたらどれだけ旨かろう、というようなことをお書きになっていた。
御意。それを読んだ僕は大きく頷いた。鮪好きにとって、必要なのは鮪と山葵と醤油のみ。その食べ方こそが至高であり、箸や皿さえ要らないのだ。これぞ鮪好きにとっての夢。さすがは筒井先生だと、僕はあらためて感心したのだった。
今、スーパーで魚を見るとき、僕はまず真っ先に鮪を探す。
そして、柵になっている鮪を見るたびに、僕はそこに醤油を塗り齧り付くさまを想像する。いずれは実現させようと思っている夢だが、パックに書かれている値段を見ていつも溜息を吐き、諦めている。買えない額ではなくとも、貧乏性が邪魔をするのだ。
しかし、やるなら早くやらなければならない。世界の鮪を見る目を考えれば、いつ高騰しないとも限らないからだ。