三文文士・周木律
17 時間について
タイムイズマネー、という言葉がある。意味はもちろん「時は金なり」だ。
日本ではこれを、「時間はお金と同じくらい大切なものだ」という解釈をしている。そういう貴重なものだから、一分一秒を無駄にせずに使いなさいと戒めるのだ。だが外国ではそうは捉えないらしい。外国人の多くは、時は金なりとは、「時間がお金を生む」と考えている。時間があればそれはお金に変わる、時給計算的な意味で考えているらしいのだ。
そんなことを、以前テレビ番組でやっていたのだが、なるほどと唸った。日本人と外国人ではきっと、何に価値を置いているかが異なるのだろう。その前提条件の違いが、タイムイズマネーの解釈の差異を生んでいるのだ。
ふと、僕はどうだろう、と考えてみる。
僕にとって時間は、基本的には無駄にはしたくないものだ。時間があればいろんなことができる。
実際、いろんなことをするために、基本的には毎日の時間をしっかりと計画している。いつ起きるのか、いつ寝るのか。可動時間つまり起床時間のどれだけを本業の仕事に費やし、あるいは文筆業の執筆に費やすのか。計画できているから、とりあえず兼業でも執筆は続けていけるのかもしれない。
だが、そのせいかどうかはわからないが、計画がされていないということについて、漠然とした不安を感じることもある。
計画どおりに遂行されないことは割とどうでもいいのだが、あらかじめ計画がないという状態に対しては、尻の座りが悪いような落ち着かなさを感じてしまうのだ。
休日の過ごし方なんかがそうだ。明日は日曜日だ。何をしよう。「九時には起きて洗濯と掃除をしよう。それから昼は本屋に出かけて資料を買ったら、午後は温泉に行こう。さっぱりしたらロビーで執筆をして、それから帰りは外食して帰ろうと思うんだけど、どう?」
そんな提案に、家族は嫌そうな顔をしてこう答えた。「別に、明日になったら考えればいいんじゃない?」
家族は陰で僕のことを「計画厨」と呼んでいる。なんとも不本意な二つ名だが、否定できないのが悔しくてならない。