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12 編集者について


 文芸の編集者については、こいつらすげえな、といつも思っている。
 なんだかよくわからないが、いつも起きているようだ。そしていつもゲラを読み、いつもペンを片手に赤を入れているらしい。あんまり寝ているようには見受けられないし、休日を楽しんでいる節もない。大したものだ。
 僕は、割と遅咲きでこの世界に飛び込んでいるので、担当となっている編集者はだいたい年下だ。その年下の彼らが、こと小説の話となると、ものすごく真剣に僕にアドバイスをくれる。そのひとつひとつはなかなか的確で、「うーん、確かに」と唸らされる。それ以外のことではもちろん僕のほうが経験豊かではあるのだが、小説の話となればこれが逆転しているのだ。当然のことだ。僕はこの世界ではまだデビューして二年くらいしかしていない新人なのだから。一方編集者はすでに海千山千の五年、十年選手。言うことには十分な含蓄がある。
 というわけで、僕にとって編集者は第一の読者であり、第一の批評家でもある。その意味で、編集者は常に僕の先生であり、もっとも頼りになる相手でもある。
 加えて言えば、編集者は僕の恩人だ。なぜならば、僕に仕事を授けてくれるからだ。
 世の中で、編集者と小説家の強弱関係は、往々にして編集者<小説家と理解されている。小説家は生み出す人間であり、これがなければそもそも編集者など成り立たないから、当然のことかもしれない。
 しかしながら、仕事のやりとりという視点から関係を捉えると、編集者は「仕事を与える側」であり、小説家は「仕事をいただく側」だ。いわば元請と下請の関係に近く、とすれば編集者>小説家という理解の仕方もある。
 大御所となれば、前者でいいのだろう。だが僕は三文文士なので、自分は後者であると理解している。僕なんぞに仕事をくれる編集者は、本当に偉いのだ。
 そもそも僕というよくわからん人物にメフィスト賞を授けたのも編集者だ。きっと名のある作家がきっちり選考する通常の賞では、僕は世に出てこれなかっただろう。その意味でも編集者は僕の恩人だ。
 結論だが、僕はそういうふうに極めて低姿勢で暮らしているので、編集者各位におかれましては、何卒仕事のほうをよろしく、お願いいたします。

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