top of page

11 コミュ障について


 コミュ障という言葉がある。コミュニケーション障害の略で、人見知りで、口下手で、話すこと自体に劣等感を抱き何も喋れない。文章だと理解できるが、会話になると何も喋れない。などの症状が現れるそうだ。
 要するに、瞬発的な言葉のやり取りが苦手だ、ということなのだろう。人間の会話は、その多くが脊髄反射的な言葉のやり取りで構成されている。「なるほど」という相槌がいい例だ。なるほどと言いながら、心の中では別に納得などしていない場合がほとんどだ。言葉のひとつひとつを吟味し、その意味を考え、自らの取るべき態度に正直になり、相手に誠実に応えようとすればするほど、瞬発的なやり取りは難しくなり、なかなか話せなくなる。
 結果、口下手と感じてしまい、自らコミュ障という烙印を押してしまうのだ。
 さて、僕は本業で、僭越ながら新人さんの教育をしたり、インターンシップを受け入れたりすることがある。
 分不相応だなと思いつつ、役職に付随した義務なので、きっちりと教えさせていただくわけだけれども、教える相手、つまり二十代前半の若手がもっとも恐れていて、ともすれば自虐的に捉えているのが、この「コミュ障」であるように感じている。下手をすると、コミュ障では仕事ができない、そんな人間なんか採用してはもらえないなどと、卑下しているような節さえある。
 ひとつ言いたいのは、彼らがコミュニケーション障害というふうに捉えているものは、ほとんどコミュニケーション障害ではないということだ。
 なぜならば、仕事で必要なのは、気の利いた一言ではなく、よく考えられ、練られた言葉だからだ。脊髄反射的にではなく、誠実に物事を考えた結果が求められる。経験上だが、それができているのは、コミュ障と自認している人たちのほうに多く、逆にうまい会話をこなせる人は、このあたりが軽薄になっていることが多い。
 コミュニケーション力には、多くの友達とわいわい楽しくやっていける能力としてのコミュニケーション力と、仕事をきっちりと遂行する上で必要な能力としてのコミュニケーション力の二種類がある。
 もう一度言うが、若手の皆さんに求められている「コミュ力」は、前者ではなくて後者だ。前者はあるに越したことはないが、無理に鍛える必要はない。口がうまかろうが下手だろうが、きちんとしたメールが打てて最低限の意志疎通ができれば問題はない。そもそも「僕は口下手なので」と言う人が、本当に何を言っているのかわからなかったことは、少なくとも僕は一度もなく、むしろ「口が達者だなあ」と思う人ほど、あまり考えておらずテキトーであることが多いのだ。
 だから、どうかそんなことで悩まないでほしい、と願う。 

bottom of page